備忘録にっき。

わすれぬうち のこしておこう びぼうろく

梅雨の合間に、ひとりごと。

きのう梅雨入りした。今しがたまで霧雨が降ってたけど、すこし晴れ間も出てきた。湿気を覚悟し窓を開けてみた。
裏のTさんちの庭には白いシャツがひらひらと眩しい。梅雨空だけど、洗濯物も部屋干しよりはマシなのかな。
同時に、耳の遠いお父さんの怒号が近所中に響き渡る。またか。いつものことだけど、何をあんなに怒ることがあるんだろう。そして奥さんも負けじと怒りだす。喧嘩腰は伝染するのにね。
人間て長生きすると丸くなるものかと思ってたけど、私の周りの男性は怒りっぽい人が多い。私の亡父が穏やかな人だったから、余計にそう思うのか。

一週間ほど前、ご近所のお爺さんが亡くなった。一般的にほぼ夫の方が早く逝くよね。
平均寿命は女性より男性のほうが短い。定年ですることがなく、家事もしないから痴呆になりやすいとか原因はいろいろだろうけど、ストレスが溜まって怒りっぽいのも、ひとつの要因の気がする。
反面、昔の女性は怒りっぽい夫に耐えて、それこそ丸くなってると思う。いきなり離婚届つきだすパターンはあるだろうけど。
私も先は見えないわ、笑。

それにしても家族葬が曲者。コロナが原因で新聞のお悔やみ欄は軒並み(葬儀は終了しました)ばかり。問題は、ご近所の葬儀に参列できなくなって香典が渡せないこと。
ラクラクだけど、ご近所付き合いの希薄に拍車がかかるよね。
これも時代の流れなのかしら。

人間はどこに向かうんだろう。
濃厚接触が難しいと言われているけど、人の欲なんて誰にも止められない。隠れた闇社会でコロナが蔓延して、巡り巡って、また大変な事になりそう。既に歌舞伎町辺りで片鱗は見えてるし。
確かなことなんて何もない。
観光業はもちろん、アパレル業界や外食業の大手の倒産が相次いでるし。


あーもう。考えるの止めよう。
コーヒーでも飲んで、仕事探そっと。

 

 

思い出は記憶のなかに、あればいい

ゴールデンウィーク明けから二日目の昨日。
朝から娘の課題を学校に届ける。
ちなみに娘はコロナの影響で、遠隔授業を受けている。妙な世の中になったものです。

いや、不幸中の幸いと言うべき?スマホもパソコンも普及しているから良いけど、昔なら遅れていく授業にどう対応していただろう。
前向きに考えよう。

「ご本人は元気ですか?」
「ハイ、変わりありません」
課題を渡す先生とすこし会話をする。もちろんお互いマスクをして、ドライブスルー(車の中)のままだ。
いつまでこんな状態が続くものだろうね。

帰宅してお昼を簡単に済ませ、午後から子供(といっても高校生)の部屋の片付けを手伝うことに。
以前から「片付けてね」と言っても散らかしっぱなしで、無関心。やはり親が手を貸さないといけないのか?、自問自答しながら行うボランティア活動のよう。
小学〜中学の教科書やらノートやら、その他ゴミの山…その量たるや。ぽいぽいと捨てるのは簡単だけど、本人なりに思い入れある物もチラホラあるようで。
ようやく本人も重い腰を上げ、一気に片付けモードに。すこし安心。

断捨離がブームのご時世、スペース上の関係もあり全部は取っておけない。だからこそ仕分けが大切になるよねえ。
仕舞いきれない思い出は心の中に、時々、思いだしては懐かしむ。それでいい。

そうそう。私のアルバムなんて、とっくに行方不明。過去の写真なんて気恥ずかしくて、見たくもない。笑。
大人の女なら墓場に持ってゆく思い出のひとつや、ふたつ、諸々…あるものよ。
大切に。


なーんてね。

デマだとわかっていても

日用品を買いに近所のドラッグストアへ歩いて出掛けた。歩きだと買いすぎを防げるし、散歩もかねられる。

いつもより車が多い。そして入口にはマスク売り切れの貼り紙がある。

驚いたのは、いつもトイレットペーパーやティッシュが陳列してある4メートル程の棚。見事に何もない。ニュースや新聞で知っていたけど凄いな。壮観とさえ感じるわ。
ドラッグストアの売り上げはさぞや上がってる事だろう。しかし苦情対応は大変ですよね。ご苦労さまです。

娘はホームセンターでバイトをしているが、トイレットペーパーを買えた人も、買えなかった人も、同じことを言うらしい。
「デマなのにねぇ」
デマだと頭で解っていても買いに走るのは、小心者というか、疑心暗鬼というか、笑点でネタになりそうな心理状態であることは間違いない。
気持ちは痛いほどわかります。
トイレットペーパーやティッシュがない生活は、本当に困りますから。
悪いのは最初にデマを流した輩と、転売屋。昨日フリマアプリを覗いたら、2ロール1000円で売ってるのがいた。バッシングされてたけど。いたちごっこだね。

いやな世の中だな。わたしはいま療養中だけど、しばらくしたら、また仕事を探すつもり。
でも接客業は避けたいと考えてる。どこに新型コロナが潜んでるか判らず、怖い。

 

あら、人のこと言えないね。
わたしも小心者だ。

安寿と逗子王丸を観て

1961年アニメの「安寿と逗子王丸」を観た。
小さい頃に観てるかも知れないけど、大人になって観るのとはまったく違う。

世の中には悪人が居るということ。
人は誰かに助けられてるということ。
人は一人ではないということ。

それはいつの世の中も変わらない。
そんなことを思いました。

いま大河ドラマでやってる明智光秀のお話。一般的に謀反人とされてるけど、それは人から見たあくまで解釈なわけで。

歴史物にはいつも疑問がつきまとう。
真実はひとつ。本当かどうかは、正直胡散臭い。
歴史的人物は最後に残ったものの勝ちだ。好きなように書き残し、後世に残せるのだから。
亡くなってしまえば、この世のことなぞ、どうでも良いのだろうけど。未練なんぞ要らぬものだ。

安寿と逗子王丸も諸説あり、書き加えられて現代に残っているだろう。例えばモデルがいても、実在ではないのかも知れない。

物語というものは、いつの時代もそんなものだから。

空飛ぶ山岳救助隊

私はいま、自宅療養中。昨年末に脊椎の手術を受け、コルセット生活にようやく慣れた頃だ。
相変わらず暇をみつけてWEBで映画を観まくっている。そして久しぶりに「岳」の実写版を観た。

ヘリで救助する牧さん、ある人がモデルになっていると直ぐに判った。故・篠原秋彦氏だ。実写版では俳優の渡部篤郎さんが演じている。

入院中、WEBで山の本を読みあさった。山賊の話、遭難の話、そして救助隊の話…その中に表題の本があった。今でこそ県警ヘリでの救助が主流だが、それは東邦レスキューの篠原氏の功績、下積みがあったからこその話。

映画「岳」の中にも「えっ。ヘリじゃないのか」という救助要請した遭難者の台詞がある。簡単にヘリが飛ばせる、素人の考えだが、ヘリはタクシーではない。出動しても場所によっては引き返すこともある。
そんな中、故・篠原氏は、経験豊富で超人的な勘とテクニックを持ち合わせていた。正確にいうと指示を出していた。一般的に無理とされる現場でも、ほぼ救助できたという伝説の人だ。

以前に遭難を経験した私は、救助ヘリのお世話にはなっていない。が、救助の方々には本当にお世話になった。いまここに存在してるのは、救助隊の方々のお陰だ。
救助されるのは当たり前ではない。ましてや山の中で無事に救助されるのは、奇跡に近い。命の有り難さを感じる。

山は皆んなのもの。
登ってはいけない…ではなく、下調べを含めた知識と危機管理を行い、覚悟をもって愉しむべきだ。
万全を期して登っても、遭難はなくならない。その時は、「助けていただく」しかないだろう。けして奢らず謙虚に素直に、助けていただこう。

私はいまでも山が大好きだ。
山には人を惹きつける魅力がある。
だからこそ細心の注意を払い、続けていきたいと思う。

末筆ながら、篠原秋彦氏のご冥福をお祈りいたします。

闘う勇気

あと一週間で入院。そしてその一週間後に病と闘うべく手術をする。
今年中に退院できるだろうか。しばらく家を空けるので、子供への申し訳ない気持ちと病気への恐怖で、時々押しつぶされそうな気持ちになる。
年齢を重ねるといろいろあるものだ。今までどれだけ幸せで、恵まれていたかを思い知らされる。

 

「あとから解るありがたさ」
誰かが言ってた。
幸せとか運が悪いとか、もちろんその場でも感じるもの。だけど全貌を捉えることができるのは、すべてが終わってから。
確かにそうだ。少し離れて見ないと、本当の良さや悪さは見えないものだろうから。この病気の一連も、すべてが済んでから見えてくるのだろうか。


とにかくすべて、これからだ。自分の中の病。自分との闘い。気を強く持たないと負けてしまうかも知れない。
それが免疫力の一種となりうる気がする。


いまの気持ちをここに記しておこう。後で振り返るためにも。
手術がうまくいきますように。

一年前の遭難事故

遭難騒ぎを起こして、はや一年が過ぎた。
去年のGWは病院からの~自宅療養だったのだけど、思い出される事故がある。新潟の1000m級の比較的低山で起きた、父子遭難事故だ。


自分の身の上に起きた事故と重なり、個人的にかなり心配していた。はやく発見されないかと毎日ニュースを探したり、ネット検索をしていた。父子は、不幸にも帰らぬ人となってしまったのだが。

 

長い冬が過ぎ、待ちわびた山シーズン到来に心は踊る。しかし春先の山を侮ってはいけない。1000m級の山には残雪があるのだ。
雪があったとしても、普通の登山靴なら比較的簡単に登れる。しかし問題は下りだ。踏み外して転倒すると、ウエアがまるでソリのようになり、一気に滑り落ちる。こうなるとコントロール不能となり、自分で自分を止めることができない。
私も20mほど滑り落ちた。


自分がまさか、どうしよう、そしてパニックになる。体勢を立て直そうとして、また滑り落ちる。何度も繰り返すと、戻る気力がなくなっていき、下に降りたら何とかなるんじゃないか?と変なスイッチが入る。そう、正に過信というやつだ。

 

去年は運悪く豪雪の年だったな。今年はそれほど雪はないかもしれない。しかし、天気予報ではこの週末、山で雪が降るという。山に向かう人は、諦める勇気を持ってほしいと祈るばかりだ。

 

一年が過ぎて、ようやく当時の状況を書けるようになった。時間は不思議に傷を癒してくれる。いろいろあったけど、山を止めるつもりはない。慎重に、事故のないように、続けたいと思う。
さあ、今年は病気と闘う試練が待っている。それを乗り越えて、また楽しく山に向かいたいものだ。

山は、きっと、待っててくれる。



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