春の陽と命の長さ
インフルエンザにかかってしまい、床に伏して早四日目になろうというのに、未だ具合が良くならない。これは歳のせいなのか?苦笑
今日はお天気も良く、横に長い窓からの陽射しが、春めいてきてるのもよく分かるほどだ。なぜなら空の色が違う。
眼を閉じて胸に手を置き、しずかに亡き母を思い出した。母の命日は二月、享年50だった。
わたしも似たような歳になり、いま、もしお迎えが来たらどんな感じかなぁ、などと考える。
わたしは一生懸命やってきたつもりだから、後悔はないだろう。ただ、残される子供たちは気がかり。まだ下は中学生だし、まだまだ親が居てやらないと駄目なんだろう。
でも亡き母は愛娘たち三姉妹とも成人していたし、当時は未婚だったけど、まぁ満足だったのではないだろうか。
先日、姑が86歳で亡くなったが、こんな事をよく言っていた。
「わたしは思い残すことはない。早くお迎えが来ればいいのに」
長生きも程々がいいのかなと思った。
姑は私たち夫婦の不仲も知ってるし、息子が時折、母親にさえキレるのを困っていたらしい。ほかにも色々苦労したらしく、地獄をもみる人生だったのだろうか。
寿命は生まれたときに決まっているのだろうか。だとしたら、わたしは幾つまで生きるのかな。
これから何れだけの人と関わり合い、別れ、生きていくのだろう。そんな事は誰にも解らないことだ。何故なら、己の道は己の脚で歩くものだから。
わたしもこの春、いろんな意味で環境が変わるだろう。
命尽きるその日まで、もうひと頑張り、してみますか。